2009年1月18日日曜日

希望をこめて明日へ

2009年1月14日水曜日

絶壁

冷たい風のなか、絶壁に立つ。

生きていることを実感するためだ。

生きることは辛く苦しい、が、身をすくませるほどの風に吹かれると、生存本能が始動する。
もしここから落ちたら・・

生きることは湖にできた氷上を歩むようなものだ。一枚氷の下はあちらの世界を意味する。生きている限り、いつ逝くかはわからないのだから。とはいえ、決して逝きたい訳ではない。どちらかといえば、もっと世俗にまみれたいのだ。


ただ、世の中は疲れる。
疲れた心身はあちらの世界に晒してやることで蘇生する。だから、絶壁を覗くのだ。さらに強く逞しく生き抜きたいと願うから、身を乗り出して黄泉の国を垣間見る。

2009年1月10日土曜日

そこにあるが掴めない物 其の肆

静かに舞い降り、ひっそりとひとときを過ごす。時折、風にあおられて流れていく。
このときはまだ掴むことができる。しかし、それも長くはない。気がついた頃には消えてしまっている。

2009年1月4日日曜日

深く荘厳な杜

その杜は幾百、幾千の年月を経てきたという。

人間は生きても、たかだか数十年であろう。と杜の樹々が嗤う。流れている時間が違うのだ。人間は即座に変化を求める。富にせよ名誉にせよ、己が命が短いことを潜在意識で察知しているからこそ、焦らずにはいられないのだ。それを樹々がからかう。

なにを焦る必要があろうか。所詮、一個体で何ができようか。我々は永きに渡り、変化という作業を行う。そもそも変化は永い時のなかにに眠らせて、熟成させる必要があるのだ。それを数年、数十年で成し得ようとは無知以外の何者であろうか。と、樹々はゆっくりとした深い息遣いで語る。

確かに人間は変化を求めすぎる傾向がある。現状がうまくいかないとわかるや、いきなり舵を切る。それも極端な変化の探求を行う。その変化への訴求がうまくいくか、いかないかはどうでも良い。ともかく、変化を求めたという姿勢、まさにそのものを求めているようにも映る。人間ひとりではどうにもならない。親、子、孫、曾孫と何世代にも渡った、首尾一貫した姿勢が必要なのだ。

まずはそこから始めよ。

深く荘厳な杜にある、樹齢数百年の樹々たちは人間にそのように命じている。

2009年1月3日土曜日

澱みゆく負の思考

人の思考方法にはふたつあるという。正の思考と負の思考である。

長い間、負の思考に支配されてきた。
絶望を恐れて、あらゆる物事に期待を持たなくなった。著しく自身喪失し、積極性を失っていた。絶えず自嘲をつづけて、自らの自尊心を切り刻むことで底のさらに奥底へ逃げ込もうとしていた。しかし負の思考は澱むだけで逃げ場がない。鬱々と停滞する思考は腐臭を発するが如く、澱み濁っていく。

思考は生けている人間が行うものである。したがって、思考も生きているのである。新鮮な空気を与えない思考が瀕死の状態になるのも当然である。
鬱積した負の思考は何も生み出しはしない。ただ、その場所に留まり弱っていくだけである。

いかに扉の外が大吹雪であろうとも、まずは歩み出さないか。
そのシューズを履いて、扉を開けてみるが良い。いままで嗅いだことがないような大気が己が鼻腔をついて、脳髄を直撃することであろう。
刺激された髄液は凄まじい勢いで、思考をはじめる。間違いなく思考し始める。それも極上の品質で思考することであろう。

それこそが、まさしく正の思考である。