2009年1月4日日曜日

深く荘厳な杜

その杜は幾百、幾千の年月を経てきたという。

人間は生きても、たかだか数十年であろう。と杜の樹々が嗤う。流れている時間が違うのだ。人間は即座に変化を求める。富にせよ名誉にせよ、己が命が短いことを潜在意識で察知しているからこそ、焦らずにはいられないのだ。それを樹々がからかう。

なにを焦る必要があろうか。所詮、一個体で何ができようか。我々は永きに渡り、変化という作業を行う。そもそも変化は永い時のなかにに眠らせて、熟成させる必要があるのだ。それを数年、数十年で成し得ようとは無知以外の何者であろうか。と、樹々はゆっくりとした深い息遣いで語る。

確かに人間は変化を求めすぎる傾向がある。現状がうまくいかないとわかるや、いきなり舵を切る。それも極端な変化の探求を行う。その変化への訴求がうまくいくか、いかないかはどうでも良い。ともかく、変化を求めたという姿勢、まさにそのものを求めているようにも映る。人間ひとりではどうにもならない。親、子、孫、曾孫と何世代にも渡った、首尾一貫した姿勢が必要なのだ。

まずはそこから始めよ。

深く荘厳な杜にある、樹齢数百年の樹々たちは人間にそのように命じている。