2009年1月3日土曜日

澱みゆく負の思考

人の思考方法にはふたつあるという。正の思考と負の思考である。

長い間、負の思考に支配されてきた。
絶望を恐れて、あらゆる物事に期待を持たなくなった。著しく自身喪失し、積極性を失っていた。絶えず自嘲をつづけて、自らの自尊心を切り刻むことで底のさらに奥底へ逃げ込もうとしていた。しかし負の思考は澱むだけで逃げ場がない。鬱々と停滞する思考は腐臭を発するが如く、澱み濁っていく。

思考は生けている人間が行うものである。したがって、思考も生きているのである。新鮮な空気を与えない思考が瀕死の状態になるのも当然である。
鬱積した負の思考は何も生み出しはしない。ただ、その場所に留まり弱っていくだけである。

いかに扉の外が大吹雪であろうとも、まずは歩み出さないか。
そのシューズを履いて、扉を開けてみるが良い。いままで嗅いだことがないような大気が己が鼻腔をついて、脳髄を直撃することであろう。
刺激された髄液は凄まじい勢いで、思考をはじめる。間違いなく思考し始める。それも極上の品質で思考することであろう。

それこそが、まさしく正の思考である。