2008年12月31日水曜日
切り開く人間
2008年12月29日月曜日
女郎蜘蛛 其の弐
2008年12月28日日曜日
祈りのひと
2008年12月25日木曜日
そこにあるが掴めない物 其の参
それらを掌握せんと企てる者もいる。また、それらを掌握するための術もあるという。
だが、たとえ掴み、握りつけられようとも、それは非常にうつろいやすい。次の刹那には、まったく別のところへ流されている。
だから、掴んだつもりでも実際には掴めてはいないのだ。
それらを有する万人にも、自分自身のそれを制御することはできない。
2008年12月23日火曜日
そこにあるが掴めない物 其の弐
2008年12月20日土曜日
拙く淡い記憶-回想愚憚-其の参
重い脚を持ち上げる作業に必死であるため、ふたりは言葉を発することができなかった。ひたすら、脚を上の段へ運ぶ作業に専念していた。右脚を上げれば、次は左脚。左脚を上げれば、次は右脚。
単純な作業を寡黙にこなすだけだ。
2008年12月15日月曜日
女郎蜘蛛 其の壱
養生といっても、とりたててしなければならないこともなく、読書や屋敷の周囲を杖つきで散歩することぐらいしかない。
男は考えている。
あのとき、逝っていても不思議ではなかったのに、また暫くの『生』を与えられた。それには、なんらかの使命が課せられているのではないだろうかと。
しかし、もし使命が課せられているとしても、男には何をすれば良いのかわからなかった。
屋敷の周辺を散策すると、女郎蜘蛛の巣が至るところで見受けられた。織り込まれた蜘蛛の糸が見事なまでに等間隔のポリゴンを描いている。
男は著名な建築家がデザインした建造物を見上げるような眼差しで、女郎蜘蛛の巣を眺めた。
巣の中心には大きな一匹がおり、凝視すると細かい蜘蛛が無数に巣食っている。しかも、細かい蜘蛛もそれぞれで微細なポリゴンを築いて、しっかりと捕食しているのだ。
男は瞬く間に女郎蜘蛛の虜となった。
その日から、男は毎日欠かさず女郎蜘蛛の巣を見てまわるようになった。
2008年12月14日日曜日
還ってきた男 其の弐
2008年12月13日土曜日
硬貨を分泌する女性
しばらく起こっていなかったのに、体質はまだ変わっていなかった。女性はその硬貨を拾い上げて財布に仕舞いながら、思うのだった。
この現象を最初に体験したのは、中学生のときだった。硬貨は10円だった。そのときから、忘れた頃に5円、1円、10円と硬貨が布団のなかに紛れ込んでいることが続いていた。
硬貨の金額はまちまちだが、枚数は必ず1枚のみだった。
女性は信じて、疑わなかった。
これらの硬貨は私の身体から分泌されたものだということを。
この現象について、絶えず周囲の人間に伝えてきたが、誰も真に受けるものはいなかった。
女性は現在、30代後半である。
今まで、布団のなかに紛れ込んでいた硬貨はすべて使わずに蓄えてある。しかし、貯めたところで金額は大したものではないだろう。
金額が問題ではないのだと女性は言う。この稀有な体質こそが、私がこの世に存在している証しなのだから。
女性の両親が語る。
確かにそのようなことがあることは、娘から聞いたことがある。でも、そんな話は一切信じてはいない。
それよりも皆が就寝した真夜中に、娘の部屋から硬貨を数えるような物音がしたことが度々あったという。
2008年12月11日木曜日
拙く淡い記憶-回想愚憚-其の弐
2008年12月9日火曜日
還ってきた男 其の壱
天井は巨大なスクリーンとなり、映画のようなものが映し出されていたともいう。
当初、男は単なる風邪、若干拗らせてしまった風邪だろうと考えていた。その夜はとてつもなく息苦しくて、結局そのまま夜が明けてしまった。
翌朝、病院で診察を受けるや否や、意識が混濁してICUへ入れられ、2ヶ月近くの挿管そして麻酔で眠らされることとなった。突然、黄泉の入口を覗く機会を与えられたのだ。
男は老齢のうえ、長年嗜好した煙草の影響で肺機能が25%まで落ちこんでいた。所謂、肺気腫である。くわえて肺炎を患ったことで、残りの25%の肺機能も奪われしまっていたのだ。
「身体に酸素が行き渡っておらず、とてつもなく危険な状態です。ご家族はそれなりの覚悟をしてください」と、医師は宣った。
男は語る。
非常に良いプランやアイデアが次々に湧いてくるんだ。子供に戻って、昔住んでいた家にも帰ってきた。現世で解決しなければならない問題にも取り組んでいた。
黄泉の国から還ってきた男は恐ろしいほどの眼力だった。頬はこけ落ちて、目玉だけが飛び出ていた。
2008年12月8日月曜日
少女の夢-将来やりたい仕事-
当時は熱心に甘栗を語り、究極の天津甘栗屋を目指していた。勿論、まとめて剥いた甘栗を口いっぱいにほうばりながら・・・
少女はこのように考えたに違いない。
天津甘栗=おいしい=大好物=いつも食べたい=職業にする=いつでも食べることができる。
それから、かれこれ三年の月日が経った。今では少女は天津甘栗を食べてはいない。
いくつものスィートポテトを食べているところは見かけるが、天津甘栗の存在をすっかり忘れてしまったかのようだ。
今、少女の夢-将来やりたい仕事-は一体、何になったのだろうか?