2009年1月31日土曜日

西の空の意味するところ

日は東より出でて西に沈む。
東は誕生であり、その対極にある西は最期を意味する。仏教では西の方角に極楽浄土があるとされている。人はこの世に生を受けて以降、ずっと西に向かって歩いているようなものである。西の空を見据えて、ひたすら西の方角へその歩を進める。歩まない日はない。この世に生きている者はすべて、日々の生活のなかで西へ向かっているのだ。

ふと西に沈む夕日を見上げる。
なんとも言いようのない寂しさに襲われる。何故、生まれてきたのか。生まれてきて、何の意味があったのか。西に辿りついたとき、その先に一体なにがあるのか。東から出でし者が西に行くまでに、何を成しとげ得たのか。西の地で、この旅は失敗だったと後悔に苛まれることはないのか。また、いつしか東から再び西への旅をはじめることが許されるのか。

西を向いている者には東から昇る朝日は眩しすぎる。
生命力がほとばしり、これから長い西への旅に旅立つ者たちの希望が、既に西への旅の中間点もしくは終幕を行く者たちには皮膚をひりひりと焦げ付かせるほど痛い。東から湧き出てくる者たちに追い立てられているような気分にもなる。しかし、そうは言いながら東から出ずる者たちを羨望するのだ。それは、言うまでもなく生への渇望である。西へ辿りつけば、この一生は終わる。西への旅は一時だけ止めておくなどということは叶わない。だから、尚更羨ましいのである。

とにかく今日は終わった。また、明日も西へ向かう旅がはじまる。
否、寝ている間でさえ西へ向かって、歩きつづけている。休むことなく毎日、毎日。だから、明日こそ西へ向かう旅に意味を持たせてやりたい、と願うのだ。私の旅には必ず、何らかの意味があるのだと。