2008年12月28日日曜日

祈りのひと

                     

そのひとは早朝から起き出し、一通りの身支度を整え、湯を沸かすと、その流れのまま神棚にむかう。
天井付近の高い位置にある神棚を仰ぎ見ながら手を合わせ、ようやく聞き取れるか否かのかすれた小声で何かを祈願する。家族や家庭の安寧を願じているのだろうか、大きくお辞儀をして神棚を離れる。

次に沸いた湯で茶をいれ、それを盆にのせて仏壇へと向かう。
昨日とりかえたばかりの黄色い花が咲く仏壇に茶を供え、鈴の音が優しく響くなか経をあげはじめる。やや長い読経だが、そのひとは毎朝、毎晩、一年をつうじて務め上げている。決して行を抜く日はない。
経を終えると、先祖、親兄弟に挨拶をし、いま供えた仏壇の茶を庭に撒く。餓鬼に施すためだ。
餓鬼の皆様、御茶をどうぞ。

さらに玄関の掃除をはじめ、すべての目地を磨き上げる。片付くと不動明王の御札を丁寧に拝む。

そのひとは便所掃除の前にも拝み、風呂を沸かすときにも拝む。ありとあらゆる物や事象に神が宿っていると信じている。

祈ることで何かが変わることはない。
そのひとやそのひとのまわりに何らかの天恵が訪れるわけでもない。むしろ、辛く苦しい事態に出くわすことのほうが多い。それでも、そのひとは感謝する。何も起こらなかったことにありがとうございますと言い、艱難辛苦を享受するように笑みを浮かべる。
そのひとの祈りは何か求める行為ではなく、生きているこの一瞬に対する感謝の表れのように映る。

しかし、そのひとが一度だけ全身全霊で要求の祈りを捧げたことがあった。
求めを受け入れられなければ、天であろうが神や仏であろうとも報復を辞さない気迫だった。その祈りは己が血を噴出させ、五臓六腑を引きちぎらん勢いがあった。凄まじい霊力を巻き上げ、祈りの力は目に見えるかたちで大きな渦をまいていた。
神や仏が気圧されてわけではないだろうが、そのひとのその祈りは叶った。

男を黄泉の国から連れ戻したのだ。